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note

2010年06月26日 23:21

他人の痛みが 理解できるように。とは言わないけれど
他人の痛みにも センシティブにいられるような人間でありたい。

ホームレスの人が ダンボールに書いたメッセージを持って 
道路の脇に 立っているのを よく 見かける。
車が信号待ちなどをしている際、ドライバーが お金をあげたりする光景も たまに見る。

ホームレスは ただの ものごい。と 軽蔑する人も あるかもしれない。
でも そんな 厳しい路上生活を 自ら望む人は そうそうは いない。
そこに至るまで たくさんの困難と 心の痛みがあるのかもしれない。

数週間前、大きな交差てんで 信号待ちをしていると 
私の車の すぐ脇の交通標識の元に ダンボールのサインを持ち うずくまる人を見た。

彼の抱えている ダンボールに 書かれた メッセージ;
『 骨のガンで 仕事が出来なくなり 職を失ってしまった。
  車に 住んでいます。
  ガソリンと 食事のための お金をください 』

国民保険がない上、医療費が破格に高額な この国で、病気の為に
働けなくなってしまった人が 治療を受けるなんて 困難だろう。
国からの支援を 探せばあるのかもしれないが 
そんな支援のことさえ知らない人が多いのが 現実だと 聞いた事がある。

この人は どんな経緯で この路上で ダンボールを持つまでになったのだろう。
病気の痛みは 大丈夫なのかな。

ぱっと見た目は 老けて見えたけど よく見ると
私と そんなに歳は 変わらないように見えた。
行っても 40代前半と 言った感じの彼。
でも 歯が全部ないのか くしゃおじさんのようになっている。

やせ細り うずくまっている その姿に 目が 釘付けになる。
普通なら お金をくれそうな 停車中のドライバーを 探すのに 
彼は ただ 前方の一点を見つめ うずくまったまま。

生きる望みも 楽しみも 人の温かさも 生きる意味さえも 
全て失ってしまったかのように 悲しい目で 遠くを見ていた。

彼に 家族はないのか。
手を差し伸べる、助けを求めることの出来る友人はいないのか。
彼は 一分一秒 どんな気持ちで 生きているのか。
この悲しい目に 光を与える事はできないのか。
そんな 疑問ばかりが ぐるぐる回り 涙が出てきてしまった。

せめて 今晩の夕飯を...と 思うけれど 私は いつも 現金を 持ち歩かない。
どうしよう。と 思った瞬間、忙しい インターセクションの信号は 変わり 
私は 結局 何をする事もできず 左折して 目的地に 向ってしまった。

目的地で 用事を済ませ また そのインターセクションを 通る。
帰りは 右折で 止まる事は なかった。

そして 目の端に 彼の姿が 入った。
その瞬間、 驚愕してしまった。
なぜならば 私は 用事を済ませる間に 彼のことを 忘れてしまっていたから。

あれほど 彼に 何か出来ないかと 胸を痛めながら その交差点を 通り過ぎたのに
数分後には 忘れていたとは 結局は 他人事なんだ。と 自分の冷たさに 唖然とした。

再び 小さくうずくまる、彼の悲しそうな目と 
自分の不甲斐なさに ダブルパンチをくらった。

その夜、姫に 彼のことを話す。
私に何が出来ただろうか。と。

あの交差点に ものすごーくお金持ちの人が止まって 治療費と住むところを
オファーしてあげないかな。 そうしたら 人の優しさに触れ、また 生きる希望を
見出せないかな。  私が お金持ちなら 家には 住まわせて上げられないけど
どうにか 手助けしてあげる。 と 宣言してみる。 姫も そうだね。と 

お金もちじゃなくても 何かできる事はなかったかな。

あれから もう 2ヶ月以上たつが それ以来、彼の姿を見る事はない。
いつ見かけてもいいように 私のポケットには いつも 20ドルさつが入っている。
たった 20ドルでも 温かいご飯が 食べられないかな。

あの交差点を通るたびに 姫と 『彼は どうしているかな』と 言葉を交わす。

...これは 偽善なのかな。

幼い頃、普段は おちゃらけなのに 人の悪口は 絶対に 言わず
『 他人を 見かけや 噂で 判断してはいけない 』と いつも 私に言っていた兄。
そんな兄から 私は 他人の痛みにも目を向けられるようになれ と 教わった気がする。

兄は いまでも 目に見えて 良い人ぶりはしない。
必要なときには 手を差し伸べる。でも その思いを 押し付けず 
ただ 自分の心の中で 想像し 留めているような気がする。

兄のようになれるかな。 
他人の痛みは やっぱり 他人事かな。
私は 幼い頃、たくさん悲しい思いをした。
今でも 他人の悲しさが 自分のものと重なってしまう。
それは 他人の痛みを 感じようとするのとは 違うのかな。

なんか 無力感。
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コメント

  1. kakosa | URL | aYDccP8M

    Re: note

    ある瞬間の衝動が、偽善か偽善ではないか。
    私もよく考える場面に遭遇します。
    そのたびに「試されてるのかしら・・」と(笑)

    本当の事はわからないけれど、kayさんがここで
    書き記した事が、次に、または誰かにつながるのではないかなあ。
    現に私に、しゃもじに、なんとおあつにまでつながっちゃった。
    (それもおもしろいリンクの仕方で!)
    想いはまわり回ってかたちを変えて、結局は
    彼にとって一番良いタイミングと方法でちゃんと届くと思います。
    なんか、本当は世の中そうゆうしくみになってるような気がして
    なりません。

    そんなことを考えた一日。
    ありがとーkayさん。
    ありがとねー。

  2. kay | URL | JY.upzGg

    Re: note

    かこさん、ありがとうございまっする もりもり。

    (私も) ダブル ありがとぉー おきゃぁーこさぁーん♪

    いえいえ この場合、トリプルで ありがとうの気持ち♬


    Pay It Forward と言う本(映画化も されましたね)を 
    覚えていらっしゃいますか?  

    誰かに 助けられたり 親切をしてもらったら
    自分も 他の誰かに 親切をしてあげよう。 
    そうやって みんなが 親切の輪を広げていったら 
    この世は もう少し 温かい場所になるんじゃないのか。と言ったお話です。

    賛否両論はあるかと思いますが。
    そうやって 大勢の人が 小さな優しさを 他の誰かに 
    そっと手渡すことのできる社会は 
    きっと 穏やかな場所なんだと思います。   

    こうやって考える事自体が 偽善だと言われるかもしれないけれど
    そう言う人には ただ 微笑むだけです。

    心底 あのホームレスの彼が 温かい気持ちに満たされる日が来るようにと 願うばかりです。
    ここは 彼に 人々の優しさが 届くような 世界なのか。 怪しいものですが。

    お年寄りに 席を譲ったり スーパーで車椅子の方に 声をかけ 商品を取ってあげたり
    横断歩道渡るおばあちゃんに 手を差し伸べたり、 そう言った事には 全く 躊躇ないんですけどね。
    それは 偽善とかではなく 自分が気持ちいいからではなく ただ 当たり前の事だから。

    でも 自分の行動や気持ちが 偽善なのか 
    『だから どうなるんだろう。。。相手は 迷惑なのかな』と 悩む事も多々あり
    やっぱり 試されているのでしょうか。  人間の器。。。的なものを?

    何が正しいのか 答えはないのでしょうが  たまに 考えたりするのですよん。

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